2006.01.30

家族で食事

家族全員で食事に行くことは私にとってたいへん楽しみなことである。

私の亡くなった父が、私が子供の頃、よく食事に連れて行ってくれたことを、今でもよく覚えている。
子供達がまだ学生の頃は、誕生日など理由をつけて、一年に二,三度は息子二人を連れて、家族全員で食事に行った。
最近はなかなか全員の都合がつかず、実現できない。

この写真は昨年の11月、家内の誕生日に久しぶりに家族全員、渋谷のレストラン「Chez AZUMA」に集まって、誕生日を祝った時のものである。

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家内を中心に左手前から時計回りで、長男の嫁、私、長男、次男

「Chez AZUMA」はこじんまりとしたレストランで、素敵なフランス料理を楽しめる。
シェフの東さんの腕は最高級であることはもちろんであるが、たいへんすばらしい方である。
恵比寿でベトナム料理レストランを経営している次男がシェフの東さんにいろいろ相談をしたりして,たいへんお世話になっているようである。

一家団欒で、すばらしい料理とワインを夜遅くまで堪能することができ、楽しい思い出に残る一夜であった。

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2005.10.07

37回目の結婚記念日

10月4日は我々夫婦の結婚記念日である。
ところが今年は37回目にして初めて、二人ともその日まで気付かないという失敗をしてしまった。
毎年、記念日には二人で食事に行くことが恒例になっている。

今年は10月6日が、初孫の摩耶ちゃんの始めての誕生日。家内はバースデイケーキを注文したり、プレゼントを買ったり、大はりきりで、10月4日の方はすっかり忘れてしまったようだ。

家内ばかりを責められない。私も帰宅して、家内に言われるまで、まったく気付かなかったほどのていたらくである。

罪滅ぼしに、翌日の5日、我々が結婚式を挙げたホテルのレストラントで1日遅れのアニバーサリーを二人で豪華に祝った。

来年はしっかり覚えておこうと二人で誓った。

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2005.08.19

蓼科山荘

毎年、8月の夏期休暇は蓼科の山荘で過ごす。
山荘と言っても、私のものではなく、私の次兄の山荘で、毎年、家内とお邪魔して、兄夫婦たちとゴルフをするのが慣わしになっている。

もう10年以上続いており、今年も8月11日から16日まで滞在して、蓼科の夏を満喫した。
この山荘は標高1600mあたりに位置して、何しろ涼しい。
この盛夏に布団をかぶって寝られるのが夢のようで、暑い東京から来ると、まさしく天国である。

ゴルフは3日間連続で行うのが恒例になっている。
3日間連続でゴルフをプレーするのは、10年前はともかく、最近では、腰痛もちの私にとっては結構な試練である。
このため、蓼科の3日間連続のゴルフに備えて、毎日、鍛えている。
毎朝、起床すると、腰痛対策として、ストレッチとともに、腹筋20回、背筋10回必ず行っている。
これに加えて、ゴルフの飛距離を保つために、腕立て伏せを10回行う。

おかげで、今年も蓼科の夏と3日間連続のゴルフと夏期休暇を満喫することができた。

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2004.12.10

「縁あって父娘」

「週刊朝日」に「縁あって父娘」という、家族的で心温まるグラビア連載があるのをご存知の方は多いだろう。

私が富士通にいた時代に、英国ICLのコンピュータ事業で一緒に仕事をした事のある北里光司郎さん(現パワードコム会長)に紹介していただき、この連載に出る事になった。
父親である自分と息子の嫁さんが語って、写真を撮るという企画で、孫も出る事になり、日曜日に自宅で取材を受けた。

長男の嫁の未由紀さんは、その日の朝から、娘の摩耶ちゃんの初デビューに大変な張り切りようであった。

この連載は「週刊朝日」でもう何年も続けられており、担当されている山崎陽一さんの取材や撮影は、さすがにお手の物であった。

取材の時に、山崎さんから、「お父さんから、お嫁さんに期待することは何ですか。」と聞かれた。

私は、

「子供の育て方で、私は家内にたいへん感謝していることがあります。それを未由紀さんにも息子の家庭でぜひ、やってほしい。」
「感謝していることとは、子供達に『お父さんは仕事熱心で、性格も明るく、すばらしい人だ』といつもほめてくれていたことです。
そうしてくれていると、子供達はお父さんを尊敬し、お父さんは、たまに家にいるとき居心地がたいへんよくなる。
一般の家庭では、母親は仕事が忙しく帰りの遅い父親のグチをつい子供に言いたくなるものです。
しかし、決して父親への不満や悪口を子供には言わないのが肝心である。
父親を常にほめていると家庭がたいへんうまくいく。家庭円満の秘訣。
これを息子の家庭でもぜひ、やってほしい。」
と答えた。

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          我が家での撮影風景

孫の摩耶ちゃんは、撮影の時、カメラに向かってご機嫌で、無事初デビューを飾った。

この記事が載る「週刊朝日」は来年1月に発売されるそうである。
どのような記事になるか今から楽しみである。

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2004.11.10

ニューヨーク駐在の時代(その6)

1969年11月28日の夜、私は二宮昭一さん(当時、富士通(株)回路部長、後、専務取締役)とマンハッタンで飲んでいた。
たしか、IBMをスピンアウトしたベンチャー企業を二宮さんが訪問されるのについていったと記憶している。

ベンチャー企業の名前も忘れたが、日にちをよく覚えているのは、翌日の11月29日に私の長男がNew York Hospitalで誕生したからである。
その後、二宮さんとは「息子さんは何才になったか。」「そうか、もうあれから何年になるんだなあ。」という会話をよくすることになる。

かなり遅くまで二宮さんと飲んだので、ニュージャージーの自宅に戻ったのは2時ごろだった。
寝入ってまもなく、陣痛が始まったらしく、「病院に電話してくれ。」と家内に起こされる。
朝の4時ごろで、あわてて電話したのはよいが、お産に関連した英語はわかってないし、何と説明してよいかもわからない。
病院の担当者もたいへん困ったと思うが、何か痛みの間隔がどうだとかで、「まだ早い。」といわれ、結局、朝の10時ごろ病院に連れて行った。
New York Hospitalに着く頃、雪が降り始めていた。

その日の午後、長男は無事に誕生した。私は初めて病室に行くときに花屋に頼んで、ものすごく大きな花束を持っていったことを覚えている。

早いものでニューヨーク生まれの長男も昨年12月に結婚(インクス流結婚披露宴)、今月、無事、長女が生まれた。
私どもの初孫である。
さっそく、家内と初孫を見に行ったわけであるが、初孫と対面してみると「どうも誰かに似ているなあ。」と思った。
帰りの車の中で、「誰に似ているかと考えていたが、ニューヨークで生まれた長男の赤ちゃんの時にそっくりではないか。」というと、家内も「そうね。誰に似ているのかと思ったが、そっくりね。」ということで、家に帰って、写真帳を引っ張り出してみた。
今見てきた初孫と写真帳の長男は瓜二つであった。

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      美人のナースに抱かれてご満悦の長男

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      10月に誕生した初孫の摩耶ちゃん

「血というものは、本当に不思議なものである。」と我々は喜びもひとしおで、○○バカぶりを早くも発揮していた。


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2004.10.12

午年会

10月4日に午年会の秋の例会に出席した。
午年会は午年生まれのメンバが年に2回の例会やゴルフ、競馬見学など、仕事を忘れて気楽に楽しむ会である。
メンバの条件は午年生まれであることと既メンバの推薦があることだけである。

最年長のメンバは中曽根元首相を筆頭に大正7年生まれの方々で、昭和5年、昭和17年、昭和29年生まれと4世代のメンバで構成される。
例会は新橋の料亭で行われる。
今年の例会で昭和5年生まれ組の鹿島建設の鹿島昭一さんが挨拶されたが、鹿島さんが午年会に入会したのは30歳台であったそうで、午年会は40年以上続いていることになる。

私が入会したのはもう10年以上前になるが、この例会は大変楽しみにさせてもらっている。
世代が異なり、しかも政治家、経営者、各界からのメンバとの交流は教えられたり、感心させられたり大変面白いものである。

例会が新橋の一流の料亭で行われるのも楽しみの一つである。

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2004.09.22

ニューヨーク駐在の時代(その5)

ニューヨーク駐在の期間の私の失敗談は数え切れないほどある。

モントリオール万博で2日間、富士通の役員を案内した。翌日の朝、空港まで送るためホテルに迎えに行く約束になっていたが、すっかり寝坊して、起きたら飛行機の出発時間をとっくに過ぎていた事。

日本からの視察団の一行を「ニューヨークのアドレスはたいへんわかりやすくなっています。」と言いながら訪問先に連れて行ったら、まったく違う場所でアポイントの時間に大幅に遅刻した事。

上司のホテルの予約が手違いから取れておらず、そのホテルは満室で、代わりのホテルを探すのに苦労した事。

今思えば図々しくも,失敗しても落胆せず,「まあ、しょうがない、次から気をつけよう。」ぐらいの気持ちであった。

数多くの失敗の中でも決して忘れられない一件がある。
ニューヨークに赴任する前に、私は婚約していたが、任期の途中で日本で結婚式を挙げることになった。

日本で結婚式を挙げ、すぐにニューヨークに戻るわけであるから、東京からニューヨークまでの間を新婚旅行にしようということになった。
ハワイとラスベガスに寄ることにして、新婚旅行の手配は私がニューヨークにいる間にすべて行った。
披露宴に着るタキシードをニューヨークのBrooks Brothersで買ったり、ホノルルやラスベガスのホテルの予約や飛行機の手配など準備万全で、得意になって東京に戻った。

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     Brooks Brothersのタキシードで

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  披露宴に出席してくれた富士通の上司や同僚

結婚式や披露宴も無事終わり、いよいよ、出発当日の朝、実家で挨拶していたら、長兄が「おい、建ちゃん、ハワイには前の日に着くの知ってるか?」と突然言った。
「ええ、ああ、そうか。」
10月10日の朝の便でハワイに出発すると10月9日の夜、ホノルルに着くのである。(その頃は朝東京を出発して前の日の夜ハワイに着く便があった。)
すべての手配を私がニューヨークにいるときに行ったため,日付変更線のことをすっかり忘れていたのである。

「まあ、ホテルも空いているだろう。ホノルルで探せるよ。」ということで出発した。
到着した10月9日の夜、ホノルル空港で、予約していたホテルや他のホテルに電話してみたが、すべて満室。
最後に、空港近くのモーテルに止まる羽目になった。

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              ホノルルで

「新婚旅行の最初の夜が空港近くのモーテルとは。先が思いやられる。」と家内には責められる。
「しかし、よく考えて見なさい。一日多くハワイに滞在できて儲かったと思えばいいじゃないか。」

失敗も前向きに考えようとするのは、いまだに変わっていない。

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2004.08.11

ニューヨーク駐在の時代(その3)

ニューヨーク滞在中、我々夫婦はクリスチン夫妻にたいへんお世話になった。
私の妻が学生時代にニューヨークを訪れたときのローターリークラブのホストファミリーであったご縁で知り合った。

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         クリスチン夫妻と私の妻

クリスチン夫妻はLong IslandのOyster Bayという優雅な住宅地に住んでおられた。

ThanksgivingやChristmasはもちろん、毎月のように開かれるパーティに必ず我々夫婦を呼んでいただいた。

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     クリスマスパーティでクリスチン夫人と

パーティでは、クリスチン夫人にアメリカ式のマナー教育を受ける。
妻や話をしている相手の女の人のグラスの飲み物がなくなったら、「何が飲みたいか」をすぐに聞いてとってくる。
食べ物もバーベキューなどでは必ず「何が食べたいか」聞いて持ってくる。
日本の家庭に育った私にとってはたいへんな試練であった。
クリスチン夫妻をはじめとして、パーティ参加者全員が妻の味方である。

日本に帰ってきたら、まったく忘れてしまったと妻に責められるが、「郷に入れば、郷に従え」で、忘れてしまったわけではなく、今でも米国に行けばそのときのマナーがちゃんと役立っている。

我々が帰国するとき、クリスチン夫妻は我々のために「farewell party」を40人ぐらいの人を呼んでわざわざ開いてくれたことが忘れられない。

70年代のアメリカのよき時代である。
アメリカ人の親切さは、まさに本物であった。

日本も発展して、我々も経済的にはあの頃のクリスチン夫妻に負けない環境になっているが、心の豊かさという面では、まだ足元にも及ばない。

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2004.07.27

インクス流金型企業の再建

「今日(26日)の日経産業新聞の記事(26面)読んでください。なかなかでしょう。」
インクスにいる長男から、自慢げにメールが送られてきた。

日経産業の記事は「IT武装を追求、納期半減」というタイトルで,山形県の金型企業「ダイ精研」が業績を改善した物語がまとめられていた。

インクスは3次元CADでデザインされた携帯電話の金型を作り出すのに、従来45日かかっていたのを45時間で完成させる技術を開発した会社である。

これを目のあたりにした「ダイ精研」の大江社長は、インクスの山田社長に「中国の台頭に負けず、日本でモノ作りを続けるために圧倒的な短納期を実現するIT活用に賭けたい。」と支援を依頼する。
インクスは野村プリンシパル・ファイナンスと組んだ金型会社の事業再生ファンド「雷鳥」の第1号の投資先として「ダイ精研」を選ぶ決意をする。
昨年5月から、インクスは長男をリーダとする7人のコンサルタントチームを山形に派遣して、工程の大改革が始まった。

インクスのITをベースとした技術とダイ精研の生産手法の、双方のノウハウを融合させて、工程改革の仕組みを構築する。

その結果、高精度が要求されるコネクター量産金型の納期が40日から3週間に短縮したという。
新聞記事にある、「新しいことに挑戦することを恐れ、立ち止まったときから衰退が始まる。」という大江社長の言葉が印象的であった。

日本のモノ作りにこだわり、日本の金型産業の再生に挑むインクスに声援を送りたい。

私は親ばかだと思いながらも長男に、「さっそく記事、読みました。まったくすばらしい。まさに感動ものです。」とメールを送った。


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2004.07.22

ニューヨーク駐在の時代(その2)

ニューヨーク駐在時代に多くの方々にお会いしたり、知り合いになることができた。
その後の私の仕事や生き方に大きな影響を与えていただいた方も多い。

1969年だったと思うが、私はニューヨークのホテルで開かれたデータベースソフトのセミナーに出席した。
当時はまだデータベースという言葉そのものが使われていなく、確か、Auerbach社主催の「ファイルマネージメントシステム」というセミナーであった。
そのセミナーで、私はCharles Wangという中国系米国人に出会った。
たまたま、そのセミナーには東洋人は私とCharlesの二人であったため、よく話をした。
そのときの縁で、その後、よく食事をするほど親しくなった。
彼は子供のとき、台湾から米国に渡り、ニューヨーク郊外の研究所にソフトウェアのエンジニアとして働いていた。

私が帰国したため、その後15年ぐらい会わなかったが、Charlesは70年台に独立して、Computer Associates社(CA社)を設立する。
CA社はその後、マイクロソフト、オラクルに次ぐソフトハウスとなり、Charlesは文字通りアメリカンドリームの大成功者となる。

私が富士通でミドルウェアソフトを担当していたこともあって、Charlesとは何回も会ってよくソフトウェアビジネスについて議論した。
彼は常に技術より、顧客視点を優先する意見を主張していたことが印象に残っている。

ニューヨークでCharlesと私でデータベースの共同開発を発表したこともあった。

ニフティの社長室には、そのときCharlesから贈られた写真がかけられている。

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その写真には次のような文章が書かれている。

Dear Tatsuzumi
Between us we are building the Lexus/Cadillac of databases!
Thank you again
Charles Wang

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2004.06.30

感謝する会

6月末から7月初めには、「○○さんに感謝する会」が頻繁に開催される時期である。
社長や役員を退任するタイミングに行われる慣習である。
会費制の会で、記念品を贈呈してお世話になったことを感謝する式次第である。
日本的かもしれないが、この慣習にそれほど違和感はない。

6月28日、新横浜のホテルで行われた元富士通のある先輩を感謝する会に出席した。
会場はたいへん明るい雰囲気で、富士通のソフトウェア事業関係の同窓会のようであった。
久しぶりに会ったメンバ同志で昔話や近況の報告をし、たいへんな盛り上がりであった。

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          なごやかな雰囲気で

私の年代より上の方にはサムライ的な先輩が多いが、今回の感謝する会の先輩も部下に対して体育会的に鍛えることで有名であった。
部下の教育とか、しつけをしっかり教えることは企業の文化として大切なことである。
最近は、この大切な文化がだんだん薄れていくようで心配である。

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           記念品の贈呈

恒例の感謝される先輩のしめの挨拶も明るく出席メンバを元気にするものであった。
気分よく、会場をあとにすることができた。

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2003.12.09

「インクス流」結婚披露宴

この週末、都内のホテルで、インクスの山田眞次郎社長夫妻が媒酌人を務めたインクス社員同志の結婚披露宴に出席した。

インクスは山田社長の強力なリーダシップのもとに、製造業の基本となる金型製作の分野で新風を起こしている新しい企業である。全く新しいITを駆使した方法で、今まで45日かかっていた金型製作を24分の1の45時間に短縮して話題になっている。(24分の1改善したのではなく、24分の1にしたのである。)

小泉首相が蒲田の中小企業を見学して話題になったが、そのときの1社である。
今年の日経BPの「イノベーター大賞」の優秀賞を受賞している。

山田社長執筆の『インクス流!』という単行本を読むと、山田社長の日本の金型産業に対する想い、高い志に経営者として感心させられる。
今まで、山田社長には何回かお会いする機会があった。インクスの経営手法にはたいへん参考にさせていただく点が多い。

今回、社員同志の結婚の媒酌人を務められ、山田社長の誠意、誠実さに感銘を受けた。
社員を大切にする誠意が伝わり、社長の想いを二人に伝えようとする気持ちが強く感じられた。

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      山田社長と新郎


私もニフティの社長に就任以来、社内で従業員という呼び方を禁止して、必ず社員と呼ぶように言っている。
業務に従事する人員ではなく、@niftyのブランドのもとに、お客様に満足いただけるサービスを提供する事業をともにするメンバーである。
社員を大切にすることと、甘えさせるということは違うのは言うまでもない。

山田社長は20歳代、30歳代のメンバーにどんどん仕事を任せながら、なお手取り足取りメンバーを育てておられる印象である。経営者として教えられる点が多い。
日本の中小企業で、このように志が高く、経営に秀でた経営者がいることはたいへん心強い。

この結婚式でのひとつのエピソードを紹介する。
新郎はこのホテルのチャペルで結婚式を挙げたわけであるが、前からたいへんお世話になっている神父が関西におられたそうである。

その神父に結婚式を執り行ってもらいたく、ホテルに「シンプを連れて行きたいのだけど」と電話で問い合わせた。
ホテルの担当者は「もちろん、かまいませんが、新郎はどうされるのですか。」と・・・。

「神父」と「新婦」の間違いで笑い話のようなものであった。

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      神父いや新婦


結局、そのお世話になっている神父に式を挙げてもらったわけであるが、新郎によるとホテルの結婚式と披露宴は全てパッケージになっていて、ホテルからの請求書には「神父お持込料」と書かれていたそうである。
マニュアル文化の弊害である。ホテルの用意したパッケージにたいして、ワインやお酒と同じように持ち込むのは何でも「お持込料」になるわけである。

この話を聞いて私は簡単に笑えなかった。
ニフティの顧客サービスにも、このようなマニュアル化された対応をしている点がきっといろいろある。
時々、お客様から、ニフティの至らない対応を指摘される。
ずいぶん改善すべく手を打っているつもりであるが、まだまだ不十分である。
この課題は、終わりのないテーマであり「さらによい対応を」ともっともっと追求していかなければならない。

最後に付け加えると、この披露宴の新郎は私の愚息である。

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