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2004.09.22

ニューヨーク駐在の時代(その5)

ニューヨーク駐在の期間の私の失敗談は数え切れないほどある。

モントリオール万博で2日間、富士通の役員を案内した。翌日の朝、空港まで送るためホテルに迎えに行く約束になっていたが、すっかり寝坊して、起きたら飛行機の出発時間をとっくに過ぎていた事。

日本からの視察団の一行を「ニューヨークのアドレスはたいへんわかりやすくなっています。」と言いながら訪問先に連れて行ったら、まったく違う場所でアポイントの時間に大幅に遅刻した事。

上司のホテルの予約が手違いから取れておらず、そのホテルは満室で、代わりのホテルを探すのに苦労した事。

今思えば図々しくも,失敗しても落胆せず,「まあ、しょうがない、次から気をつけよう。」ぐらいの気持ちであった。

数多くの失敗の中でも決して忘れられない一件がある。
ニューヨークに赴任する前に、私は婚約していたが、任期の途中で日本で結婚式を挙げることになった。

日本で結婚式を挙げ、すぐにニューヨークに戻るわけであるから、東京からニューヨークまでの間を新婚旅行にしようということになった。
ハワイとラスベガスに寄ることにして、新婚旅行の手配は私がニューヨークにいる間にすべて行った。
披露宴に着るタキシードをニューヨークのBrooks Brothersで買ったり、ホノルルやラスベガスのホテルの予約や飛行機の手配など準備万全で、得意になって東京に戻った。

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     Brooks Brothersのタキシードで

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  披露宴に出席してくれた富士通の上司や同僚

結婚式や披露宴も無事終わり、いよいよ、出発当日の朝、実家で挨拶していたら、長兄が「おい、建ちゃん、ハワイには前の日に着くの知ってるか?」と突然言った。
「ええ、ああ、そうか。」
10月10日の朝の便でハワイに出発すると10月9日の夜、ホノルルに着くのである。(その頃は朝東京を出発して前の日の夜ハワイに着く便があった。)
すべての手配を私がニューヨークにいるときに行ったため,日付変更線のことをすっかり忘れていたのである。

「まあ、ホテルも空いているだろう。ホノルルで探せるよ。」ということで出発した。
到着した10月9日の夜、ホノルル空港で、予約していたホテルや他のホテルに電話してみたが、すべて満室。
最後に、空港近くのモーテルに止まる羽目になった。

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              ホノルルで

「新婚旅行の最初の夜が空港近くのモーテルとは。先が思いやられる。」と家内には責められる。
「しかし、よく考えて見なさい。一日多くハワイに滞在できて儲かったと思えばいいじゃないか。」

失敗も前向きに考えようとするのは、いまだに変わっていない。

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2004.09.17

我が家のブロードバンド環境

お会いする方々やマスコミ関係の方々から、「古河さんの家のインターネットはADSLですか?」
「IP電話はお使いでしょうね?」と聞かれることが多い。

「人には光やADSLを勧めておいて、ISPの社長がまさかダイアルアップなんてことはないのでしょうね。」と質問されているようにも感じる。

我が家のインターネット環境はニフティの勧めるブロードバンド環境にエンハンスを繰り返している。
昔のダイアルアップから、1.5MのADSLへ、それから8M,さらにBフレッツへ。
人に勧める前に自分で使ってみることは、当たり前のことではあるが、インターネット環境を変えるのに結構苦労する。

「@niftyフォン」や「@niftyTV」のような上位サービスも利用しており、一応ブロードバンドインターネットユーザを自負している。

@niftyTVをインストールして,初めて使ってみた時は、私にとって何ともいえない感無量な気持ちであった。
実は1990年代のはじめに米国の地域ベル会社では、既にVOD(Video On Demand)の可能性の議論がたいへん盛り上がっていた。
光技術による高速ネットワークの未来、映像の圧縮技術などの技術革新を踏まえて、VODは明日からでも始まる勢いであった。
当時、私は富士通のマルチメディア推進室を担当していたこともあって、VODはたいへん魅力あるサービスに思えた。
しかし、現実にはビジネスの採算性から、技術はあってもサービスの商用化は難しかった。

それ以後、TVでインターネットを利用できるWebTVのようなサービスを手がけたが、これもうまくいかなかった。
結局、インターネットのブロードバンド化により,高速ネットワークが普及して、ようやく、90年代初期に可能性として盛り上がっていたVODがサービス開始されたということである。

実に10年以上の月日が費やされたのである。

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2004.09.03

ニューヨーク駐在の時代(その4)

私が富士通の駐在事務所にいた60年代の終わりから70年にかけて、IBMがまさにコンピュータ業界に王者として君臨していた。
IBMシステム/360シリーズが全盛で、競争相手は「BUNCH」とも呼ばれ、Burroughs,UNIVAC,NCR,CDC,Honeywellと数は多かったが、この5社が束になってもIBM1社にかなわないほどであった。

そのころは、ニューヨーク郊外のIBMの工場や研究所に、我々でも簡単に訪問することができた。
富士通の名前もまったく知られておらず、訪問先で、
「What kind of business you are in?」と聞かれて、
「Computer business.」と答えると、
「What is your company name?」
「Fujitsu Limited」
「???・・・Good luck.」と激励されるといった具合であった。

まさに、巨人と小人の関係であったが、我々の大きな夢と目標になる。
10数年後のIBMと富士通の争いを考えると、夢のような時代であった。

そのころの小さな富士通のコンピュータ事業は、事業にかかわったメンバのメチャクチャなガンバリとお客様,そして競争相手に育てられたと実感する。

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